日本歴史地名大系 「六分一村」の解説 六分一村ろくぶいちむら 兵庫県:加古郡稲美町六分一村[現在地名]稲美町六分一森安(もりやす)村の南東に位置する。南東部は瀬戸(せと)川の中流域にあたり、北部が天満大(てんまおお)池の北西に延びる沖積面と高位段丘面を占める。新(しん)池から流出する喜瀬(きせ)川が南部を南西流する。天満大池から取水する池郷の一つ。村内を南北に二見(ふたみ)湊(現明石市)から国包(くにかね)渡(現加古川市)へ至る道が通る。さらに二見湊と三木を結ぶ道も北東方向へ延びている。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳によると田方四〇七石余・畑方五九石余。明和元年(一七六四)の地方明細帳(大西家文書)によると高五六〇石余、田二七町四反・畑七町三反、ほかに新田畑七町八反余、家数八八・人数三四三、牛二七、溜池は天満大池など八。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by