六渡寺村(読み)ろくどうじむら

日本歴史地名大系 「六渡寺村」の解説

六渡寺村
ろくどうじむら

[現在地名]新湊庄西町しようせいまち一丁目・港町みなとまち庄川本町しようがわほんまち

さんしん村の西に位置し、富山湾に面する。西の小矢部おやべ川対岸は伏木ふしき(現高岡市)、南は中伏木村。港津を備えた交通の要所として古くから開けた。村名は当地にかつて六動寺という大寺があったことに由来するという(越中志徴)。六道寺・六動寺などとも記された。「源平盛衰記」巻二九(三箇馬場願書事)によれば、寿永二年(一一八三)五月、源義仲が兵五万余騎を率い「六動寺の国府」に屯したという。斯波氏のもと、当地は守護領とされていたとみられる。延徳三年(一四九一)三月一三日、冷泉為広は蓮沼はすぬま(現小矢部市)で舟に乗り、小矢部川を下った。「一ノ宮」を経て「六ドウジ」に至り、「オホタ浜」「オホノ浦」を経て放生津に宿泊した(越後下向日記)永禄(一五五八―七〇)頃の寺嶋職定過書札(極性寺文書)によれば、職定は極性ごくしよう寺衆三人に対し、六渡寺などに設置されていた関所の関銭免除を認めている。元亀二年(一五七一)三月、上杉謙信は神保長職の懇請により越中へ出陣した。同月一七日に神通川を渡り一九日までに近辺をすべて攻略し、続いて守山もりやま(現高岡市)湯山ゆやま(現庄川町)を攻めようとしたが、「六同寺」川(小矢部川)増水により渡河できず、攻撃を断念している(三月二〇日「上杉謙信書状」岡田紅陽所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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