六角町(読み)ろつかくちよう

日本歴史地名大系 「六角町」の解説

六角町
ろつかくちよう

中京区新町通六角下ル

南北に通る新町しんまち(旧町尻小路)を挟む両側町。北側は六角通(旧六角小路)、南側は蛸薬師たこやくし(旧四条坊門大路)に面する。

平安京の条坊では、左京四条三坊一保二町東及び同七町西。平安中期以降は四条坊門町尻小路北にあたる。

鎌倉時代より室町時代にかけて、六角町尻小路には、六角生魚供御人が居住していた。もとは禁裏の膳部生魚の提供者があり、御厨子所預宗季法師によって設けられたという(地下家伝)。六角町の座は鳥供御人と菓子供御人を含んでいたがその中心は生魚供御人で、元弘三年(一三三三)内蔵寮目六によると「六角町生魚供御人毎月人別鯉一(喉)、人数十余人在之云々、将又、兄参料人別百五十文」とあり、供御人は十余人からなり、嘉元四年(一三〇六)にはそれが「皆女商人也」であったという(粟津庄書物)。所属は、最初御厨子所領であったが、のち、諸座と同様内蔵寮が介入し、相論の末、永仁二年(一二九四)御厨子所預の所属たるべきが確定したが、室町時代に至り、内蔵頭山科家の支配となった。文明一〇年(一四七八)九月一四日付の内蔵寮目代大沢氏領知所々目録(言国卿記)の中にも、「六角町棚公事銭、同跡供御人之事、小預申合別相伝也」とある。

山科家の支配は、応仁乱後にはやがて動揺してくる。言経が勅勘により本願寺に下った翌年、天文一四年(一五四五)四月一七日の「言継卿記」には、「第四番之一書に、京師六角町とあり、只今於六角町更供御人之由申者無之上者如何、是相違之申事候哉」とあり、同じ五月九日には「先度申入候ごとく、応仁の乱後、任雅意不成進退候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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