日本歴史地名大系 「六角町」の解説
六角町
ろつかくちよう
南北に通る
平安京の条坊では、左京四条三坊一保二町東及び同七町西。平安中期以降は四条坊門町尻小路北にあたる。
鎌倉時代より室町時代にかけて、六角町尻小路には、六角生魚供御人が居住していた。もとは禁裏の膳部生魚の提供者があり、御厨子所預宗季法師によって設けられたという(地下家伝)。六角町の座は鳥供御人と菓子供御人を含んでいたがその中心は生魚供御人で、元弘三年(一三三三)の内蔵寮目六によると「六角町生魚供御人毎月人別鯉一
山科家の支配は、応仁乱後にはやがて動揺してくる。言経が勅勘により本願寺に下った翌年、天文一四年(一五四五)四月一七日の「言継卿記」には、「第四番之一書に、京師六角町とあり、只今於六角町更供御人之由申者無之上者如何、是相違之申事候哉」とあり、同じ五月九日には「先度申入候ごとく、応仁の乱後、任雅意不成進退候」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報