兼友西園(読み)カネトモ セイエン

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「兼友西園」の解説

兼友 西園
カネトモ セイエン


職業
尺八奏者

本名
兼友 弥三左衛門

別名
幼名=盛延

生年月日
文政1年 12月17日

出生地
尾張国名古屋(愛知県)

経歴
名古屋の商家出身。浜松普大寺(普化宗)の貫首・玉堂梅山に師事し、普化尺八を学ぶ。明治維新により、江戸幕府から唯一尺八を許されていた普化宗が廃止されると、師から教わった「調子」「滝落」「秋田」「山谷」など普大寺の遺曲11曲の伝承尽力。その流派は、彼の幼名・盛延の音読みから西園流と言われ、尺八のみで演奏する本曲のみならず、外曲(特に、地歌箏曲との合奏)でも独自の地位を築いた。門弟に京都明暗流の始祖・樋口対山(鈴木孝道)や内田紫山などがいる。

没年月日
明治28年 3月21日 (1895年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

朝日日本歴史人物事典 「兼友西園」の解説

兼友西園

没年:明治28.3.21(1895)
生年:文政1.12.17(1819.1.12)
江戸後期・明治期の普化尺八西園流の流祖。西園の流名は,幼名の盛延を音読みしたもの。本名は弥三左衛門。商家(砥屋)の出。江戸から明治に時代がかわり,それまで幕府から唯一尺八を許されていた普化宗が廃止になるという激動期を生きた。浜松普大寺最後の貫主,玉堂梅山に師事し,同寺の遺曲11曲を伝えるとともに,尺八による外曲(地歌箏曲)の手付けにも腐心し,「外曲の西園流」といわれる地盤を築いた。同流の宗家は,世襲によらず,弟子が代々「西園」の名を継ぎ,平成の5代目に至っている。門下に,鈴木孝道(樋口対山)がいる。20日没とも。

(志村哲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「兼友西園」の解説

兼友西園 かねとも-せいえん

1819*-1895 江戸後期-明治時代の尺八奏者。
文政元年12月17日生まれ。遠江(とおとうみ)(静岡県)浜松普大寺の玉堂梅山にまなび,西園流をひらく。門下に樋口対山らがいる。明治28年3月20日死去。78歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。名は盛延。通称は弥三左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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