朝日日本歴史人物事典 「兼友西園」の解説
兼友西園
生年:文政1.12.17(1819.1.12)
江戸後期・明治期の普化尺八西園流の流祖。西園の流名は,幼名の盛延を音読みしたもの。本名は弥三左衛門。商家(砥屋)の出。江戸から明治に時代がかわり,それまで幕府から唯一尺八を許されていた普化宗が廃止になるという激動期を生きた。浜松普大寺最後の貫主,玉堂梅山に師事し,同寺の遺曲11曲を伝えるとともに,尺八による外曲(地歌箏曲)の手付けにも腐心し,「外曲の西園流」といわれる地盤を築いた。同流の宗家は,世襲によらず,弟子が代々「西園」の名を継ぎ,平成の5代目に至っている。門下に,鈴木孝道(樋口対山)がいる。20日没とも。
(志村哲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報