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冀朝鼎 きちょうてい Ji Chao-ding

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

冀朝鼎
きちょうてい
Ji Chao-ding

[生]光緒29(1903).10.12. 山西,汾陽
[没]1963.8.9. 北京
中国の経済学者。清華大学シカゴ大学を卒業後,コロンビア大学に学び,1934年経済学博士号を取得。 41年帰国して,米英華為替平衡基金委員会秘書長。また中央銀行経済研究所所長を兼任。第2次世界大戦後の内戦下では傅作義を説いて北平の無血開城に努めた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

冀朝鼎
きちょうてい / チーチャオティン
(1903―1963)

中国の経済学者。山西(さんせい/シャンシー)省汾陽(ふんよう/フェンヤン)県の人。1924年清華大学を卒業してアメリカに留学、シカゴ大学で法律を学ぶ。27年アメリカで中国共産党に加入、28年コミンテルン第6回大会(モスクワ)に出席、29年以後アメリカ共産党中国局にあって、機関紙『デーリー・ワーカー』に秘密裏に協力した。36年Key Economic Areas in Chinese History(邦訳名『支那(しな)基本経済と灌漑(かんがい)』)でコロンビア大学から経済学博士の学位を受けた。41年帰国。44年孔祥煕(こうしょうき/コンシヤンシー)の機密秘書としてブレトン・ウッズ会議に出席、49年傅作義(ふさくぎ/フーツオーイー)を説いて北平(北京(ペキン))の無血開城に努めた。建国後は中国国際貿易促進委員会副主席、中国銀行副理事長などを歴任した。[矢吹 晋]

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