中国の軍人、政治家。山西省出身。1918年、保定軍官学校卒業。北伐に際しては蒋介石(しょうかいせき)ら南方派を支持して閻錫山(えんしゃくざん)のもとで張作霖(ちょうさくりん)と戦ったが、1930年、反蒋作戦に参加して大敗した。翌1931年からは綏遠(すいえん)省政府主席としてこの一帯に勢力を張り、1935年、国民党中央委員に選出された。日本の内モンゴル進出に反対して、1936年、百霊廟(ひゃくれいびょう)で日本軍を撃破、抗日戦争中は第一二戦区総司令などの任にあって日本軍と対峙(たいじ)した。抗戦後の1947年、察哈爾(チャハル)省主席、華北掃共司令などに任じて人民解放軍と対立したが、1949年1月、北京(ペキン)の平和解放に協力、10月、中華人民共和国成立とともに中央人民政府委員、軍事委員会委員に選出され、政務院水利部長、のちに水利電力部長となって、治水行政の中枢の地位についた。1965年、人民政治協商会議全国委員会副主席。晩年は、国民党時代のもと同僚や台湾人民に対して台湾解放を呼びかけた。
[安藤彦太郎]
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…36年5月には徳王と李を正副主席として内蒙軍政府が徳化につくられ,田中隆吉関東軍参謀が徳化特務機関長を兼ねてその指導にあたった。国民政府はこれに対抗して綏遠省主席傅作義(ふさくぎ)に綏境蒙政会を設立させた。11月にはいると徳王は綏遠討伐を声明して進撃をはじめ,関東軍からも,兵力の直接参加はなかったものの,飛行機,自動車等が参加した。…
…54年廃止されて,内モンゴル自治区に編入された。いわゆるオルドス地方にあたり,庫布斉,毛烏素等の砂漠もあるが,陰山(大青山)山脈の南側には,黄河沿岸に広い谷地が開け,とくに五原県を中心とする後套地区は黄河の水を引いて灌漑農業を行う広大な農地が開発され,農業生産性が高く,傅作義(ふさくぎ)の率いる地方軍閥の強固な拠点となっていた。包頭と帰綏との間にも民生灌漑区が建設され,ともに本省の重要な農業区であった。…
※「傅作義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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