共進会(読み)キョウシンカイ

デジタル大辞泉 「共進会」の意味・読み・例文・類語

きょうしん‐かい〔‐クワイ〕【共進会】

産業の振興を図るため、産物や製品を集めて展覧し、その優劣を品評する会。明治初年代より各地で開催された。競進会

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精選版 日本国語大辞典 「共進会」の意味・読み・例文・類語

きょうしん‐かい‥クヮイ【共進会】

  1. 〘 名詞 〙 産業の発達交流をはかるため、産物や製品を一堂に集めて展覧し、優劣を品評する会。明治一〇年代から、殖産興業政策の一環として、全国各地で開催された。競進会。
    1. [初出の実例]「共進会は、平素各人の産製する同種の物品を一場に蒐列し」(出典:大蔵省布達甲第五〇号‐明治一二年(1879)五月一九日・一条(法令全書))

共進会の補助注記

明治一二年九月一五日に横浜で開催された製茶共進会が始まり。


きょうしん‐かいキャウシンクヮイ【競進会】

  1. 〘 名詞 〙きょうしんかい(共進会)
    1. [初出の実例]「唯是れ古着古物の競進会のみ」(出典:浮城物語(1890)〈矢野龍渓〉四)

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改訂新版 世界大百科事典 「共進会」の意味・わかりやすい解説

共進会 (きょうしんかい)

明治前期における政府殖産興業政策の一つ。明治政府の工業化政策は,1873年の内務省設置以後,大きく変化した。財政難や貿易収支の悪化によって,工部省の直営事業に対する批判が高まり,民業の育成が緊急の課題として強調されるようになったからである。試験場・学校の経営,民業助成などに当たる勧業寮(1877年に勧農局と改称)や,各種博覧会事務局が内務省内に設けられ,77年秋には第1回内国勧業博覧会が上野公園で開催された。また78年にはパリ万国博覧会への出品と掛官の派遣が行われ,フランスの物産コンクールを見聞する機会に恵まれた。その結果翌79年には,内務,大蔵両省の主催によって,製茶共進会(9~10月)と生糸繭共進会(11月)が横浜で,翌80年には綿糖共進会(2~4月)が大阪で開催されることになった。茶,生糸・繭は輸出品の双へきであり,綿,砂糖は輸入品の双へきであった。当時,国内各地では地方制度の整備や海外貿易の発展によって,在来産業がいっせいに勃興し始めていた。そのためこの共進会に続いて,府県や町村で,米麦,雑穀,糸繭,茶,織物,牛馬,水産物林産物,絵画などの共進会が,続々開催された。それらはいずれも技術の向上と産業の発展に大きく寄与したが,他方,農民の実業志向を刺激し,民権運動の退潮や政治意識の停滞をもたらすことになった。
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共進会 (きょうしんかい)
Gòng jìn huì

中国,辛亥革命直前の革命結社。1907年(光緒33)8月,焦達峯,孫武ら湖南・湖北出身の留日学生を中心に東京で結成され,翌々年漢口に移された。形式的には中国同盟会の下部団体ではあったが,孫文の広東重視策を不満とし,長江揚子江流域を革命運動の主対象とすることを主張,あわせて会党工作に力点を置いて,独自の活動を展開した。やがて11年(宣統3)9月,同盟会中部総会の譚人鳳の指導下に,文学社と協力し,10月10日の武昌蜂起を実現させた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「共進会」の意味・わかりやすい解説

共進会
きょうしんかい
Gong-jin-hui; Kungchin-hui

中国,宣統3 (1911) 年,武昌で蜂起して辛亥革命の口火を切った革命団体。中国革命同盟会員の焦達峯 (しょうたっぽう) らが,光緒 33 (07) 年に東京で結成したもの。孫文の辺境での蜂起に批判的で,内地での蜂起を唱え,また「平均地権」の綱領を「平均人権」に変えて宣伝した。湖北,湖南の会党新軍に働きかけ,武昌では下士官,兵士などの団体「文学社」と連合して 10月 10日の武装蜂起を成功させ,湖南でも焦が革命政権を樹立。のち,同盟会主流との対立を黎元洪らに利用され,解体した。

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百科事典マイペディア 「共進会」の意味・わかりやすい解説

共進会【きょうしんかい】

各地方の代表的な物産や技術を一堂に集め,一般の観覧に供するとともに,生産者,販売者に優劣を競わせて品質改良,産業振興を図る目的の催し。1879年横浜で開かれた製茶共進会,生糸繭共進会が最初で,明治期に殖産興業政策の一環として生糸,茶,織物などを中心に各地で催された。
→関連項目内国勧業博覧会

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「共進会」の意味・わかりやすい解説

共進会
きょうしんかい

内国勧業博覧会と並ぶ明治政府の勧業政策。1880年代を中心に、政府・地方官庁が優秀農工産物を一般から出品させて展示、生産技術の交流、向上を図った。1879年(明治12)9月の製茶共進会(横浜)と11月の生糸繭(まゆ)共進会(横浜)が初例。地方農工産物について開催されたものであるが、とくに輸出奨励の観点から生糸類と製茶、また輸入防遏(ぼうあつ)の観点から綿、砂糖、織物の共進会が重要視された。

[海野福寿]

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旺文社日本史事典 三訂版 「共進会」の解説

共進会
きょうしんかい

明治政府が殖産興業のために開いた見本市
内務省が主催して1879年横浜で開いた製茶共進会が最初で,その後年々盛んになり,中央官庁や府県主催で行われた。農産物・生糸・織物などを取り扱い,内国勧業博覧会とともに,産業の発展に貢献した。

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世界大百科事典(旧版)内の共進会の言及

【博覧会】より

…全国博覧会はその後開かれず,地方博覧会が各地で盛んとなった。地方博覧会としては,1879年9月横浜で開かれた製茶共進会(内務省勧農,商務両局主宰)が最初である。共進会(中央政府によるものと地方官庁によるものとがある)はその後盛んに開かれたが,重要なものは,80年の綿糖共進会(大阪),85年の繭糸織物陶漆器に関する共進会(東京)である。…

【呉玉章】より

…はじめ1903年(光緒29)日本に私費留学し,成城学校速成中学在学中,変法により中国を改革する考えをすて,中国同盟会に加入。旧制六高理科に進んだが退学して革命運動に専念,反清と民権革命を鼓吹する雑誌《四川》を編纂し,また四川哥老会の有力者だった兄の関係で,哥老会,孝友会,三合会などの会党を統一した共進会を組織したりした。11年(宣統3)7月帰郷後四川の革命に奔走した。…

※「共進会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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