日本大百科全書(ニッポニカ) 「内山龍雄」の意味・わかりやすい解説
内山龍雄
うちやまりょうゆう
(1916―1990)
理論物理学者。静岡県静岡市生まれ。1940年(昭和15)に大阪帝国大学理学部物理学科を卒業後、同大の助手、講師、助教授を経て、1955年(昭和30)に教授。1954年にプリンストン高等研究所の研究員として渡米した。1978年から1980年まで大阪大学理学部長を務め、1980年退官後、大阪大学名誉教授。1980年に帝塚山大学教授、1982年より1988年まで帝塚山大学学長を務めた。1954年ごろには一般ゲージ理論を完成させていたが、論文発表が1954年に定式化された楊振寧(ようしんねい)とミルズRobert L. Mills(1927―1999)によるヤン‐ミルズ理論(非可換ゲージ理論)よりも遅れたため、ノーベル賞を逃した。一般ゲージ理論は、電弱統一理論やクォーク理論に応用され、素粒子での標準的な理論となっている。一般ゲージ理論を通じて、一般相対性理論や場の理論を広めるのに寄与した。
[編集部 2023年7月19日]