内藤伝右衛門(読み)ないとう でんえもん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤伝右衛門」の解説

内藤伝右衛門 ないとう-でんえもん

1844-1906 明治時代新聞経営者。
天保(てんぽう)15年1月14日生まれ。明治5年山梨県最初の新聞「峡中(こうちゅう)新聞」(「山梨日日新聞」の前身)を創刊した。11年女性読者対象の「をとめ新聞」を発刊。「初版甲斐(かい)国志」の発行など出版事業にもつくした。明治39年11月18日死去。63歳。甲斐(山梨県)出身本姓手塚

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む