内藤忠勝(読み)ないとう ただかつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤忠勝」の解説

内藤忠勝 ないとう-ただかつ

1654-1680 江戸時代前期の大名
承応(じょうおう)3年生まれ。内藤忠政(ただまさ)の子。寛文13年志摩(三重県)鳥羽藩主内藤家3代となる。延宝8年江戸増上寺での4代将軍徳川家綱の法会乱心,おなじ警備役の丹後(京都府)宮津藩主永井尚長(なおなが)を殺す。同年6月27日切腹を命じられ,内藤家は断絶した。27歳。通称左兵衛

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

フランスのパリで開催されるテニスの国際大会。1891年創設。ウィンブルドンテニス大会、全豪オープン、全米オープンとともに世界四大テニス選手権大会の一。四大会では唯一クレーコートで行われる。飛行家ローラ...

全仏オープンの用語解説を読む