冷水村(読み)ひやみずむら

日本歴史地名大系 「冷水村」の解説

冷水村
ひやみずむら

[現在地名]群馬町冷水

金古かねこ村の東南に位置し、東は引間ひきま村との入会地。土地はおおむね平坦であるが、南村境染谷そめや川付近は低湿地。寛文郷帳では引間村に含まれた。元禄郷帳に村名がみえ高三五石余、旗本安藤重広領。現在冷水所属の三ッ谷みつや(三ッ屋)は地籍上引間分であるが、慶長―寛永(一五九六―一六四四)小野里・福島・斎藤の三家が開発・居住したのが始まりと伝える。三ッ谷の福島重右衛門は宝永六年(一七〇九)領主安藤信富の苛酷な暴政に耐えかね評定所に出訴した一人(国府村誌)。江戸後期の御改革組合村高帳では沼田藩領で家数三一。文政五年(一八二二)には三国街道金古宿の助郷村であった(「金古宿助郷村々対談取極証文」神保文書)


冷水村
ひやみずむら

[現在地名]海南市ひやみず

かめの川の上流、長峰ながみね山脈の東南斜面の水を集めた地に位置し、集落は山腹緩斜面に点在する。那賀なが郡に属し、北は下流次谷つげだに村、南は海老谷えびたに村に接し、西は名草なくさ東畑ひがしばた村。亀の川の中央に「天取岩」とよぶ大岩があり、「続風土記」は「昔此谷大亀ありて往来の人を害す、或時天より大石降りて此亀を誅す」との伝えを記す。古くは石清水いわしみず八幡宮領野上のかみ庄に含まれ、野上七村のうち亀ノ川村に属した。

慶長検地高目録では村高二七六石余、小物成三石八斗六升八合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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