朝日日本歴史人物事典 「冷泉為秀」の解説
冷泉為秀
生年:生年不詳
南北朝時代の歌人。享年は70歳余りか。冷泉為相の次男で,冷泉家の2代目。京極派優勢時には花園院に近侍し,寄人として『風雅和歌集』(1349年頃)の編集を補佐した。晩年には室町幕府将軍足利義詮 や二条良基の信任を獲得し,『年中行事歌合』(1366)や『新玉津島社歌合』(1367)の判者となるなど,歌壇の中心人物となった。また,義詮のほか,門弟には足利基氏,京極(佐々木)高秀,今川貞世(了俊)など有力武士も少なくなく,彼らに数多くの貴重な歌書を書写し伝えた。その教えは自由で柔軟なものであったといわれている。<参考文献>井上宗雄『中世歌壇史の研究』
(渡部泰明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報