冷泉為秀(読み)れいぜい・ためひで

朝日日本歴史人物事典 「冷泉為秀」の解説

冷泉為秀

没年:応安5/文中1.6.11(1372.7.12)
生年:生年不詳
南北朝時代歌人享年は70歳余りか。冷泉為相次男で,冷泉家の2代目。京極派優勢時には花園院に近侍し,寄人として『風雅和歌集』(1349年頃)の編集を補佐した。晩年には室町幕府将軍足利義詮 や二条良基の信任を獲得し,『年中行事歌合』(1366)や『新玉津島社歌合』(1367)の判者となるなど,歌壇の中心人物となった。また,義詮のほか,門弟には足利基氏,京極(佐々木)高秀,今川貞世(了俊)など有力武士も少なくなく,彼らに数多くの貴重な歌書を書写し伝えた。その教えは自由で柔軟なものであったといわれている。<参考文献>井上宗雄『中世歌壇史の研究

(渡部泰明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「冷泉為秀」の解説

冷泉為秀 れいぜい-ためひで

?-1372 南北朝時代の公卿(くぎょう),歌人。
冷泉為相(ためすけ)の次男。延文3=正平(しょうへい)13年従三位。のち権(ごんの)中納言となり従二位にいたる。将軍足利義詮(よしあきら)の歌道師範をつとめ,公家のほか今川了俊ら有力武家を門人とした。「風雅和歌集」などに歌がある。応安5=建徳3年6月11日死去。道号は松峰。法名は秀宅。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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