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後崇光院 ゴスコウイン

デジタル大辞泉の解説

ごすこう‐いん〔ゴスクワウヰン〕【後崇光院】

[1372~1456]崇光天皇の孫。伏見宮栄仁親王の王子。名は貞成(さだふさ)。法名、道欽。その日記「看聞日記」は、当時の政治・社会を伝える貴重な史料。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後崇光院 ごすこういん

1372-1456 室町時代の尊称天皇。
応安5=建徳3年3月25日生まれ。栄仁(よしひと)親王の第2王子。母は三条治子。崇光天皇の孫。40歳で元服し,伏見宮家第3代をついだのが45歳。応永32年54歳で親王となるが,後小松上皇と称光天皇父子の間で皇位継承問題がおき出家。称光天皇の死で長男彦仁(ひこひと)が即位(後花園天皇)したため,文安4年太上天皇の尊号をうけたが,翌年辞退した。康正(こうしょう)2年8月29日死去。85歳。墓所は伏見松林院陵(ふしみのしょうりんいんのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は貞成(さだふさ)。法名は道欽。著作に「椿葉記」,日記に「看聞(かんもん)御記」。

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大辞林 第三版の解説

ごすこういん【後崇光院】

貞成さだふさ親王の諡号しごう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後崇光院
ごすこういん

貞成親王」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後崇光院
ごすこういん

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世界大百科事典内の後崇光院の言及

【貞成親王】より

…法号は道欽(どうきん)。諡号(しごう)は後崇光院(ごすこういん),後崇光太上天皇。《看聞(かんもん)日記》《椿葉記(ちんようき)》などの筆者。…

【上皇】より

…大宝令制定以後は,譲位した天皇は自動的に太上天皇と称され,持統より平城まで7人の上皇が出現したが,823年(弘仁14)嵯峨天皇が譲位に当たり太上天皇の尊号を辞退したため,淳和天皇が詔して尊号をたてまつり,以後これが常例となり,譲位後数日ないし十数日の間に新帝から尊号をたてまつる詔を発する儀制が成立し,嵯峨より江戸末期の光格まで,北朝の上皇を含めて53人の上皇が尊号をうけた。そのほか,皇位につかずして太上天皇の尊号をうけた例に,後堀河天皇の父守貞親王(後高倉院)と後花園天皇の父貞成親王(後崇光院)があり,没後に尊号を追贈された例に,後陽成天皇の父誠仁親王(陽光院)と光格天皇の父典仁親王(慶光天皇)がある。太上天皇の異称には,上記の略称のほか,〈おりゐのみかど〉〈もとのうへ〉〈むなしきふね〉などの和風のものもあり,みな譲位の意による称で,〈むなしきふね〉は中国に出典のある〈虚舟〉の和訓である。…

※「後崇光院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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