出丸町(読み)でまるまち

日本歴史地名大系 「出丸町」の解説

出丸町
でまるまち

[現在地名]城端町 出丸町

町並の東と西は急崖、北には急坂があって井波いなみ道・福野ふくの道に通じる。坂を上ると木戸があり、南は東下ひがししも町と西下町に接する(「城端絵図」城端図書館蔵)。昔は城端城の出城があったと伝える。町立ては正保―慶安(一六四四―五二)頃という(「天保六年旧記抜書」洲崎家文書)。町域には坂下河原かわら町も含まれ、その北の方で山田やまだ川といけ川が合流する。元禄六年(一六九三)の組中人々手前品々覚書帳(城端町役場蔵)によると本家高四一、男一〇九・女一一八、大工屋敷無役地永代請三、男五・女八、借地家三、男五・女八、借家一、男二・女二、囲借家三、男七・女三。


出丸町
でまるまち

[現在地名]魚津本町ほんまち一丁目

魚津城跡西側の二の丸の出口は本丸と同じように西に向かっており、その出口に位置するのが町名の由来という(下新川郡史稿)。西のおお町の裏町にあたり、北は馬出うまいで町、南は角川かどがわ町。寛永(一六二四―四四)頃に町立てされたというが、家数は少なく、魚津町方の万雑を一分負担している(魚津町誌)。天明五年(一七八五)魚津町惣絵図では北部の丁字状の通りに出丸町とみえ、その北西に山伏光勝こうしよう院、旧二の丸出口の西に大梅寺屋(蔵宿などを勤める)の蔵屋敷、その南に延びる通りの西側に山伏照庵しようあん寺が描かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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