出雲愛之助(読み)イズモ アイノスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「出雲愛之助」の解説

出雲 愛之助(初代)
イズモ アイノスケ


職業
民謡歌手

肩書
安来節保存会指導部長

本名
藤原 丑之助

生年月日
明治34年

出生地
島根県 加茂町

経歴
幼少時に両親を亡くしたため奉公に出るが、のちに山本愛太郎の安来節一座に加入し全国を巡業。安来節の物足りなさを批判する客から教えを乞うなど、非常な謙虚さと熱心さで芸を磨く。その間に、尺八を伴奏とし、船頭の姿と仕草を模した振付けで唄う出雲追分創始。昭和初期における安来節の立て役者であった初代渡辺お糸と並び称され、その高音域の唄い方は“愛之助節”と呼ばれた。また、安来節保存会にも参加し、芸術部長・指導部長として同節の保存と普及に力を尽くした。

没年月日
昭和24年 (1949年)


出雲 愛之助(2代目)
イズモ アイノスケ


職業
民謡歌手

本名
石倉 芳文

生年月日
大正2年 12月15日

出身地
島根県 大原郡大東町

経歴
昭和2年ごろから三味線方として山陰民謡を学び、14年から歌方に転向、高音域の独得な節回しを持った「愛之助節」を完成させた。22年、2代目名人・出雲愛之助を襲名。放送、レコード舞台で活躍するとともに、安来節保存会制定の名人位保持者として後進の指導に務めた。

受賞
島根県知事賞,運輸大臣表彰,文部大臣表彰

没年月日
昭和63年 4月17日 (1988年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「出雲愛之助」の解説

出雲 愛之助(2代目)
イズモ アイノスケ

昭和期の民謡歌手



生年
大正2(1913)年12月15日

没年
昭和63(1988)年4月17日

出身地
島根県大原郡大東町

本名
石倉 芳文

主な受賞名〔年〕
島根県知事賞,運輸大臣表彰,文部大臣表彰

経歴
昭和2年ごろから三味線方として山陰民謡を学び、14年から歌方に転向、高音域の独得な節回しを持った「愛之助節」を完成させた。22年、2代目名人・出雲愛之助を襲名。放送、レコード、舞台で活躍するとともに、安来節保存会制定の名人位保持者として後進の指導に務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「出雲愛之助」の解説

出雲愛之助(2代) いずも-あいのすけ

1913-1988 昭和時代の民謡歌手。
大正2年12月15日生まれ。安来節。初代が創始した,喉(のど)の奥からしぼりだす高音域でうたう「愛之助節」を完成させる。また追分,米山甚句,磯節などをうたいこむ,新しい安来節を考案した。昭和22年2代を襲名。昭和63年4月17日死去。74歳。島根県出身。本名は石倉芳文。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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