利伽羅(読み)くりから

日本歴史地名大系 「利伽羅」の解説

利伽羅
くりから

倶梨伽羅・倶利迦羅倶梨迦羅・栗柄・栗殻などとも書き、山・谷・峠の呼称として用いられる。礪波山となみやま丘陵のうち国見くにみ(二七六・八メートル)の山腹付近一帯にあたるが、古くは礪波山とよばれて越中国礪波郡に属した。加賀と越中の国境で、地名は峠に倶利迦羅龍王(不動)本尊とする倶利迦羅堂があったことにちなむ。戦国期には加賀国河北郡に属した。寿永二年(一一八三)五月一一日、木曾義仲が平維盛率いる追討軍を破った倶利伽羅峠(礪波山)の合戦の舞台となった。「保暦間記」は越中国戸波山に向かった平氏大手軍が「倶梨迦羅ガ谷」という難所へ追落されたとし、「神皇正統録」も「倶梨伽羅到下」に布陣した平氏軍が夜襲にあい谷に落ちたとする。ほかに「礪浪山ノ口倶利伽羅カ嶽」「倶利迦羅カ谷」(延慶本「平家物語」三末)、「くりからの堂」「倶梨迦羅が谷」(覚一本「平家物語」巻七)、「礪並山倶梨伽羅カ峯」「加賀ト越中ノ境ナル倶梨伽羅山」「礪並郡倶梨伽羅山」「倶梨伽羅ノ堂」「倶梨伽羅カ峠」「倶梨伽羅カ谷」などとみえる(「源平盛衰記」巻二九)

倶利伽羅峠の合戦で平氏軍は「倶梨伽羅ノ堂・国見・猿馬場ノ塔橋ノ辺」に陣を据えたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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