倶利伽羅峠(読み)クリカラトウゲ

デジタル大辞泉 「倶利伽羅峠」の意味・読み・例文・類語

くりから‐とうげ〔‐たうげ〕【倶利伽羅峠】

富山石川県境にある峠。標高277メートル。源義仲平維盛大軍火牛の計で破った古戦場

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「倶利伽羅峠」の意味・読み・例文・類語

くりから‐とうげ ‥たうげ【倶利伽羅峠】

富山県小矢部市と石川県津幡町の境にある北陸街道の峠。倶利伽羅不動尊を祀る堂がある。南斜面に倶利伽羅谷がある。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「倶利伽羅峠」の意味・わかりやすい解説

倶利伽羅峠
くりからとうげ

石川県河北(かほく)郡津幡町(つばたまち)と富山県小矢部市(おやべし)との県境にある峠。宝達(ほうだつ)丘陵南端にあり、標高260メートル。両県を結ぶ交通の要地として古くから開けたが、標高のわりに交通障害をなしてきた。604年(推古天皇12)の開道と伝え、江戸時代は北国(ほっこく)街道が通り、麓(ふもと)に宿場町が発達した。峠付近倶利迦羅竜王を祀(まつ)る倶利伽羅不動寺と手向(たむけ)神社、五社権現(ごんげん)が祀られている。1183年(寿永2)木曽義仲(きそよしなか)が平家を火牛の戦法で破った古戦場が付近にあり、「義仲の寝ざめの山か月かなし」の芭蕉(ばしょう)句碑もある。1878年(明治11)新道が北方1キロメートルの天田(あまだ)峠に開かれ、この道はさびれた。1898年北陸線のトンネルが貫通したが、1000分の20の急勾配(こうばい)で機関車2両を使用した。1962年(昭和37)国鉄(現、JR)は下方に新トンネルを建設し、旧トンネルは国道8号が利用する。峠一帯は眺望に優れ、ハイキングコース。あいの風とやま鉄道(旧、JR北陸本線)石動(いするぎ)駅から倶利伽羅不動寺前までバス(月1回。不動の縁日である毎月28日に運行)、下車後徒歩。

[矢ヶ崎孝雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「倶利伽羅峠」の意味・わかりやすい解説

倶利伽羅峠
くりからとうげ

富山県小矢部市と石川県津幡町の境にある旧北陸街道の峠。標高 277m。砺波山 (となみやま) を越えて越中と加賀を結ぶ交通の要衝であった。軍事上も重視され,寿永2 (1183) 年源義仲が平維盛の率いる平家の軍勢を火牛の計を用いて破った礪波山の戦いをはじめ,承久3 (1221) 年の北条勢と後鳥羽上皇方との戦い,天正 13 (1585) 年豊臣秀吉,前田氏の佐々成政討伐があった。北陸街道は 1878年やや北方の天田峠につけ替えられた。 JR北陸本線,国道8号線は天田峠をトンネルで抜けているが,倶利伽羅トンネルと呼ばれる。峠一帯は倶利伽羅県定公園に指定されている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「倶利伽羅峠」の意味・わかりやすい解説

倶利伽羅峠【くりからとうげ】

富山県小矢部市と石川県津幡町の間にある旧北陸街道の峠。標高277m。付近の山地や谷は倶利伽羅峠の戦で有名。現在,北の天田(あまだ)峠を国道8号,IRいしかわ鉄道が通じる。
→関連項目小矢部[市]津幡[町]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android