礪波山(読み)となみやま

精選版 日本国語大辞典 「礪波山」の意味・読み・例文・類語

となみ‐やま【礪波山】

  1. 富山県小矢部市と石川県河北郡津幡町との境にある山。山中に、旧北陸道の倶利伽羅(くりから)峠があり、源平合戦古戦場として知られる。標高二七七メートル。倶利加羅山。黒坂山。
    1. [初出の実例]「刀奈美夜麻(トナミヤマ) 手向の神に 幣(ぬさ)(まつ)り」(出典:万葉集(8C後)一七・四〇〇八)

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日本歴史地名大系 「礪波山」の解説

礪波山
となみやま

倶利伽羅くりから山の古称で利波山・礪浪山・礪並山・砥並山などとも書き、黒坂くろさか山ともよばれた。「越中志徴」に「礪波山は一山の惣名にて、倶利伽羅は一峰の名なり」とみえるように、広義には石川県と富山県の境、倶利伽羅山・国見くにみ山・源氏げんじヶ峰・矢立やたて山などを含む付近一帯をいう。最高所は国見山の二七六・八メートル。旧北陸道の道筋で古来交通・軍事の要衝で、倶利伽羅峠付近には手向たむけ神社と倶利迦羅堂(長楽寺、現廃寺)があった。「源平盛衰記」巻二九に倶利伽羅嶽は「越中国礪波郡ノ内ナレハ礪波」山ともよぶとあり、古くは越中国に属したが、戦国期以降長楽ちようらく寺は加賀国に属している(「天文日記」天文五年一〇月一日条など)。天平一九年(七四七)五月、大伴池主大伴家持に贈った長歌に「礪波山 手向の神に 幣奉り」とみえる(「万葉集」巻一七)

寿永二年(一一八三)五月一一日、木曾義仲軍が平維盛率いる平氏軍を破った、いわゆる倶利伽羅峠の合戦を「愚管抄」は「トナミ山ノイクサ」とよび、「一代要記」「鎌倉年代記」「源平盛衰記」なども礪波山合戦と記す。「保暦間記」「神明鏡」も戸波山(砥並山)を越えて越中に入ろうとした平氏軍が義仲軍に敗れ「倶利伽羅カ谷」へ落ちたとし、「越中国浪山」「加賀・越中ノサカヒナル浪山」「此山ハ浪郡ノ内ニテ候ヘハ、浪山トモ申シ候」「礪浪山ノ口倶利伽羅カ嶽」(延慶本「平家物語」三末)、「加賀と越中の境なる砥浪山」(覚一本「平家物語」巻七)、「礪並山倶梨伽羅カ峯」(「源平盛衰記」巻二九)などとみえる。


礪波山
となみやま

小矢部市と石川県津幡つばた町の境にあり、礪浪・礪並・砥並とも書き、倶利伽羅くりから山・黒坂くろさか山ともいう。「越中志徴」に「礪波山は一山の惣名にて、倶利伽羅は一峰の名なり」とみえ、広義には倶利伽羅山・国見くにみ山・源氏げんじヶ峰・矢立やたて山などの支峰を含み、最高所は国見(二七六・八メートル)。「源平盛衰記」巻二九に、倶利伽羅嶽は越中国礪波郡内にあるので礪波山ともよぶとある。古代の北陸道が通る交通・軍事の要衝で、倶利伽羅峠付近に手向たむけ神社(現津幡町)と倶利伽羅不動が祀られた堂(長楽寺、現廃寺)があった。天平一九年(七四九)大伴池主が、大伴家持に贈った長歌(「万葉集」巻一七)に「刀奈美夜麻 手向の神に 幣奉り」とみえる。天平勝宝元年(七四九)家持が東大寺僧平栄に贈った歌(同書巻一八)に「焼大刀を刀奈美の関に明日よりは守部遣り添へ君を留めむ」とみえる礪波の関を倶利伽羅峠付近に比定する説があり、現石坂いしさかの礪波の関跡公園に関址の碑が建つ。手向神社は「三代実録」元慶二年(八七八)五月八日条に、越中国「手向神」とみえ、従五位下を授与されているが、戦国期以降は長楽ちようらく寺とともに加賀国に属したと思われる(「天文日記」天文五年一〇月一日条など)

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百科事典マイペディア 「礪波山」の意味・わかりやすい解説

礪波山【となみやま】

富山県小矢部市と石川県津幡(つばた)町の境にある山。倶利伽羅(くりから)山・黒坂山ともいう。《越中志徴》によると礪波山は一山の総名で,倶利伽羅山は一峰の名とされ,広義の礪波山は最高所の国見山(276.8m)や倶利伽羅山・源氏ヶ峰・矢立山などの支脈を含む。古代の北陸道が倶利伽羅峠を通る交通の要衝で,1183年木曾義仲軍と平氏軍の合戦があり,承久の乱の際にも戦場となっている。→倶利伽羅峠の戦

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