日本歴史地名大系 「前の山古墳」の解説 前の山古墳まえのやまこふん 大阪府:羽曳野市軽墓村前の山古墳[現在地名]羽曳野市軽里三丁目日本武尊白鳥(はくちよう)陵に治定される。誉田御廟山(こんだごびようやま)古墳の南西にあり、羽曳野丘陵が東へ延びた位置に、前方部を西に向けて築造された前方後円墳。墳丘の全長一八九メートル、前方部幅一六〇メートル、高さ一九・七メートル。後円部の直径一〇五メートル、高さ一七・五メートル。前方部が著しく開き、幅・高さともに後円部を上回り、南西にある白髪(しらが)古墳などとともに代表的な後期の前方後円墳。白鳥(はくちよう)陵とよばれるのは、日本武尊が伊勢の能褒(のぼ)(煩)野(の)で死んだのち、白鳥と化して河内に至ったという白鳥伝説によるが、「古事記」景行天皇段に「河内国の志幾(しき)に留まる、故、其地に御陵を作りて鎮まり坐す、即ち其の御陵を号けて、白鳥(しらとり)の御陵と謂ふ」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by