前原寅吉(読み)マエハラ トラキチ

20世紀日本人名事典 「前原寅吉」の解説

前原 寅吉
マエハラ トラキチ

明治〜昭和期の天文学者



生年
明治5年(1872年)

没年
昭和25(1950)年4月21日

出生地
青森県三戸郡八戸町(現・八戸市)

経歴
旧八戸藩士の家に生まれ、長じて八戸の番町に時計屋を開業。商売の傍ら天文学者の平山信に私淑し、天体観測や天文学の研究を進めた。明治38年に太陽の黒点観測を行い、43年には世界で唯一ハレー彗星の太陽面上通過の観測に成功(学会からは認められず)。同年星座の位置から現在の時間を計る星座時計を開発し、白瀬矗率いる南極観測隊に贈った。また、東北地方太平洋沿岸に特有のヤマセによる冷害を防ぐため、天候と天体の因果関係についても研究。その他、自ら撮影した天体図などを用いて天文学の教材を作成し、日本全国にとどまらずアメリカ・満州朝鮮・台湾など海外の学校に贈り、天文学の普及にも貢献している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前原寅吉」の解説

前原寅吉 まえはら-とらきち

1872-1950 明治-昭和時代前期の天文研究家。
明治5年生まれ。生地の青森県八戸で時計商をいとなむ。平山信に私淑し天体観測をつづけ,太陽黒点の変化をしらべて明治43年ハレー彗星の太陽面通過確認。同年,白瀬矗(のぶ)の南極探検隊に星座時計をおくった。日本天文学会特別会員。昭和25年死去。78歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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