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前田元温 まえだ げんおん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

前田元温 まえだ-げんおん

1821-1901 江戸後期-明治時代の医師。
文政4年3月15日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。坪井信道に蘭方をまなび,長崎でモーニッケからまなんだ牛痘接種鹿児島藩で実施した。慶応4年鳥羽・伏見の戦いの際,戦傷者の治療のため英医ウィリスを招聘(しょうへい)。のち警視医学校を設立し,法医学の基礎をきずく。明治34年9月6日死去。81歳。通称は信輔。号は杏斎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

前田元温

没年:明治34.9.6(1901)
生年:文政4.3.15(1821.4.17)
幕末明治期の医者。幼名は信輔,杏斉と号した。薩摩(鹿児島)藩士。はじめ京都で典医について医を学び,のち江戸に出て多紀元堅に漢方を,坪井信道に蘭方を学んだ。嘉永2(1849)年薩摩藩主島津斉興の命により,長崎でモーニケに牛痘接種法を学び,痘苗を手にいれて帰り,同年12月同藩で初の種痘を行った。明治1(1868)年鳥羽・伏見の戦に際して,英医ウィリスを招いて戦傷兵の治療に当たらせ,維新後江戸の大病院知事司(院長)に就任した。10年西南戦争では戦地に警視病院を設立した。のち司法省,文部省,警視庁などの高官を歴任し,17年に引退。<参考文献>「前田元温君実歴附一六節」(『史談会速記録』60号)

(深瀬泰旦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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