朝日日本歴史人物事典 「前田元温」の解説
前田元温
生年:文政4.3.15(1821.4.17)
幕末明治期の医者。幼名は信輔,杏斉と号した。薩摩(鹿児島)藩士。はじめ京都で典医について医を学び,のち江戸に出て多紀元堅に漢方を,坪井信道に蘭方を学んだ。嘉永2(1849)年薩摩藩主島津斉興の命により,長崎でモーニケに牛痘接種法を学び,痘苗を手にいれて帰り,同年12月同藩で初の種痘を行った。明治1(1868)年鳥羽・伏見の戦に際して,英医ウィリスを招いて戦傷兵の治療に当たらせ,維新後江戸の大病院知事司(院長)に就任した。10年西南戦争では戦地に警視病院を設立した。のち司法省,文部省,警視庁などの高官を歴任し,17年に引退。<参考文献>「前田元温君実歴附一六節」(『史談会速記録』60号)
(深瀬泰旦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報