劉伶(読み)リュウレイ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「劉伶」の意味・わかりやすい解説

劉伶
りゅうれい

生没年不詳。中国、三国魏(ぎ)から晋(しん)にかけての文人。221年ごろから300年ごろまで在世した。字(あざな)は伯倫。沛国(はいこく)(江蘇(こうそ)省)の人。老荘思想に基づく反礼(れい)教的な自由人のグループ「竹林の七賢」の一人。建威参軍になったこともあるが、無為にして無用の意義を説き、不安定で殺伐とした王朝交代期に、自由気ままな酒びたりの生活を送った。「酒徳頌(しょう)」は、酒びたりの自画像を通して、老荘的自由を論じ、礼教に束縛された世俗を笑う。いつも酒を飲みつつ、死ねばその場に埋めよと従者に鋤(すき)を担がせていたなど、酒にまつわる逸話が多い。

[成瀬哲生 2016年1月19日]

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世界大百科事典(旧版)内の劉伶の言及

【七賢人】より

…ローマ帝国時代には,個々の賢人や七賢人全員の肖像をモザイクや壁画に描くことが流行した。【藤縄 謙三】(2)中国,三国の末期,放達の行為で知られた7人の自由人,すなわち阮籍(げんせき),嵆康(けいこう),山濤(さんとう),王戎(おうじゆう),向秀(しようしゆう),阮咸(げんかん),劉伶(りゆうれい)。一般に〈竹林の七賢〉とよばれるのは,嵆康の郷里の山陽(江蘇省淮安県)の竹林にあつまって酒をくみかわし,談論にふけったからである。…

※「劉伶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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