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中国の後漢(ごかん)末から魏(ぎ)を経て西晋(せいしん)に至る間(2世紀末から4世紀初め)に、文学を愛し、酒や囲碁や琴(こと)を好み、世を白眼視して竹林の下に集まり、清談(せいだん)を楽しんだ、阮籍(げんせき)、山濤(さんとう)、向秀(しょうしゅう)、阮咸(げんかん)(以上河南省)、嵆康(けいこう)(安徽(あんき)省)、劉伶(りゅうれい)(江蘇(こうそ)省)、王戎(おうじゅう)(山東省)の7人の知識人たちに与えられた総称。彼らは、魏晋の政権交替期の権謀術数の政治や社会と、形式に堕した儒教の礼教を批判して、偽善的な世間の方則(きまり)の外に身を置いて、老荘の思想を好んだ方外の士である。彼らの常軌を逸したような発言や奇抜な行動は、劉義慶(ぎけい)の『世説新語』に記されている。そこには、たとえば、阮籍は、母の葬式の日に豚を蒸して酒を飲んでいたが、別れに臨んでは号泣一声、血を吐いた、とある。彼らの態度は、人間の純粋な心情をたいせつにすべきことを訴える一つの抵抗の姿勢であり、まったくの世捨て人ではなかった。すなわち、嵆康は素志を貫いて為政者に殺され、山濤は出仕して能吏の評判が高かった。
[宮澤正順]
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魏晋の清談家,阮籍(げんせき),嵆康(けいこう),山濤(さんとう),向秀(しょうしゅう),劉伶(りゅうれい),阮咸(げんかん),王戎(おうじゅう)をいうが,7人が仲間をなしていたわけではない。阮籍,嵆康らは反俗的態度を貫いたが,山濤,王戎らは高官に登った。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…譙国(しようこく)銍(ちつ)(安徽省)の人。友人阮籍(げんせき)と並んで,〈竹林の七賢〉の中心的な存在だった。司馬氏の簒奪があらわになってきた魏末の世にあって,歯に衣(きぬ)着せぬ鋭い論調によって偽善的な風潮を敢然と批判した。…
…陳留(河南省)の人。嵆康(けいこう)とともに〈竹林(ちくりん)の七賢〉の中心的な存在で,常識の意表をつく奇矯な発言と奔放な態度で世人を驚かせたが,その裏には社会の偽善や退廃に対する逆説的な批判精神がこめられていた。司馬氏の簒奪(さんだつ)が進められる魏末の恐怖政治下にあって,目覚めた意識を持つ者としての苦悩をつぶさになめながら,韜晦(とうかい)した生きかたを貫き通した。…
… そのころすでに居酒屋も存在した。司馬相如がかけおちした卓文君と酒場をひらいたことは有名な逸話であり,〈竹林の七賢〉たちが行きつけの居酒屋の名は〈黄公酒壚(黄おやじの酒場)〉であった。〈竹林の七賢〉は名うての酒徒のあつまりであって,たとえば山濤(さんとう)は8斗飲んで初めて酔い,劉伶(りゆうれい)は5斗を迎え酒とした(七賢人)。…
…【藤縄 謙三】(2)中国,三国魏の末期,放達の行為で知られた7人の自由人,すなわち阮籍(げんせき),嵆康(けいこう),山濤(さんとう),王戎(おうじゆう),向秀(しようしゆう),阮咸(げんかん),劉伶(りゆうれい)。一般に〈竹林の七賢〉とよばれるのは,嵆康の郷里の山陽(江蘇省淮安県)の竹林にあつまって酒をくみかわし,談論にふけったからである。かれらはひとしく酒を愛した。…
※「竹林の七賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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