加久藤・加久藤郷(読み)かくとう・かくとうごう

日本歴史地名大系 「加久藤・加久藤郷」の解説

加久藤・加久藤郷
かくとう・かくとうごう

現えびの市のほぼ中央部、西流する川内せんだい川とその支流長江ながえ川流域を占める。覚頭とも記された(日向記)。中世には真幸まさき院のうち(元亀三年三月五日「妙見大菩薩勧請文写」・天正九年五月「某大般若経寄進状写」真幸院記)。永禄五年(一五六二)当時、伊東氏は北原氏領の真幸院地方へ勢力を伸ばしていた。同年大川平おこびら城の大河平隆利は、伊東氏の軍勢猛攻を受け敗れたが、その奮戦ぶりを島津氏に賞され、加久藤内の鍋・灰塚はいつか榎田えのきだの三ヵ所を給与されている(「大河平家系図」大河平家文書)。同七年には北原氏の内紛に乗じて島津氏が真幸地方に進出、伊東氏に備えるため島津忠平(義弘)飯野いいの城に入り、さらに加久藤城を築いてその夫人を入れた(島津国史)。同一一年八月一九日(九日ともされる)、伊東方は飯野のうち桶比良おけびら(大河平)に陣を取って飯野城を攻撃しようとした。このとき加久藤・馬関田まんがた表の百姓は伊東方に荷担して村に放火するなどしたが島津氏が精兵を送り込んだため鎮静化した(「長谷場越前自記」旧記雑録など)。元亀三年(一五七二)五月四日の木崎原合戦では島津方は飯野城を本城とし、加久藤城などを支城として戦った(「箕輪伊賀覚書」同書など)。だが伊東方は飯野城を通りすぎて加久藤城から攻撃を始めた。合戦ののち、伊東方の加久藤方面への進軍を飯野城へ通報した上江うわえ村彦六左衛門へ与えられた一〇〇石のうちに加久藤の田一反二畝二四歩があった(「木崎原合戦記」同書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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