日本大百科全書(ニッポニカ) 「蒲江」の意味・わかりやすい解説
蒲江
かまえ
大分県最南端、南海部(みなみあまべ)郡にあった旧町名(蒲江町(ちょう))。現在は佐伯市(さいきし)の南東端部にあたる地域。旧蒲江町は1911年(明治44)町制施行。1955年(昭和30)名護屋(なごや)、上入津(かみにゅうづ)、下入津の3村と合併。2005年(平成17)佐伯市に合併。旧町名は中世以来の地域名による。日向灘(ひゅうがなだ)に臨み、ほぼ海岸沿いに国道388号が通じる。中心の蒲江浦は第3種漁港、中世すでに港町として知られた。イワシ漁やブリ定置網で栄えたが、いまはモジャコ(ブリの幼魚)の採捕が主。入り江の養殖は真珠、ハマチが中心。入り江の奥の小平地や山腹斜面には米、サツマイモ、ミカン作が行われ、養豚も盛んである。サンゴ礁(しょう)を主体とする屋形(やかた)島、深(ふか)島の蒲江海域公園や海食崖(がい)、砂浜の海岸は日豊海岸国定公園(にっぽうかいがんこくていこうえん)の一部。富尾神社の蒲江神楽(かぐら)と、早吸日女神社(はやすいひめじんじゃ)の八人太鼓は県指定無形民俗文化財。
[兼子俊一]
『『蒲江町史』(1977・蒲江町)』