加子母村(読み)かしもむら

日本歴史地名大系 「加子母村」の解説

加子母村
かしもむら

[現在地名]加子母村 小郷区おごうく小和知区おわちく二渡区ふたわたりく番田区ばんだく中切区なかぎりく上桑原区かみくわばらく中桑原区なかくわばらく下桑原区しもくわばらく万賀区まんがく角領区かくりようく

美濃国北西端にあり、東と北は信濃国、北西は飛騨国益田ました御厩野みまやの(現下呂町)、西は加茂郡佐見さみ(現白川町)越原おつぱら(現東白川村)、南は付知つけち(現付知町)南東から北西へ南北なんぼく街道が通る。関ヶ原戦後遠山友政(苗木藩)領となり、慶長郷帳に「かしも村」とあり、高一千一八〇石余とある。元和元年(一六一五)尾張藩領となり、正保郷帳では田方八六二石余・畑方三二六石余で、ほかに新開田畑高四石余がある。慶安四年(一六五一)の人数一千四七五(明暦覚書)。「濃陽志略」では家数二六六・人数一千七三〇。

加子母村
かしもむら

面積:一一二・一八平方キロ

北東の長野県境は御嶽おんたけ山の南に続く険しい山並阿寺あでら山脈高樽たかたる山、井出いで小路こうじ山などがあり、北西の益田ました下呂げろ町および加茂郡白川しらかわ町境は、三国みくに山から南西に延びる山並で、その南端尾城おじよう山がある。二つの山並に挟まれて加子母村があり、その村域を加子母川流域付知つけち川流域に二分するのは、小秀こひで山から南に延びる山並で付知町境の塞之神さいのかみ峠に続く。加子母川は村の西部を南下して加茂郡東白川ひがししらかわ村に入る。この流域が主要部分で耕地が開ける。標高は小郷おごうの北部が七二〇メートル、最も低い角領かくりようで四四七メートルである。加子母川は四季を通じて澄みきった美しい流れで、昔は木材川狩の場で、鮎やあまごが泳ぎ河鹿が鳴く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報