加守村(読み)かもりむら

日本歴史地名大系 「加守村」の解説

加守村
かもりむら

[現在地名]岸和田市加守町一―四丁目・宮前みやまえ

岸和田城下の北東方、村に南西で接し、加守川左岸、紀州街道の東方に位置する。加守川は北流し、春木はるき村との村境に至って西流し、やがて春木川となって海に注ぐ。また菖蒲しようぶ川は野村との村境を北西流し、加守川に合流。紀州街道は村の西端一角をかすめる。古代の和泉郡掃守かにもり(和名抄)中世加守郷の地。

村高は古検高五三四石余(「岸和田御領分中古高今高仕出帳」鬼洞文庫蔵)


加守村
かもりむら

[現在地名]當麻町大字加守

二上山東麓に所在。古代には掃守かもり寺があったと考えられ、「姓氏録」大和国神別に「掃守かもり、振魂命四世孫天忍人命之後也」とある。また久安四年(一一四八)の大和国平田荘内検帳(お茶の水図書館蔵大乗院文書)に葛下郡二一条として「四里十三坪五反 五里二坪五反 七坪三反 十八坪三反三百廿歩字千手田六反掃守北谷」とみえている。なお葛木倭文坐天羽雷命かつらぎのしどりにいますあめのはずちのみこと神社の天和三年(一六八三)石灯籠には「河守村」と刻す。

慶長郷帳の村高二七一・七四石、幕府領(代官北見勝忠)、元和五年(一六一九)郡山藩(松平忠明)領、のち同藩の二割半無地高増政策で村高三四二・九七五石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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