加治田城跡(読み)かじたじようあと

日本歴史地名大系 「加治田城跡」の解説

加治田城跡
かじたじようあと

[現在地名]富加町加治田 古城

戦国期の佐藤紀伊守忠能の城。却敵きやくてき城ともいう。城下町加治田は飛騨への街道の要所。加治田集落の背後にそびえる標高二七〇メートルの古城こじよう山の山頂を中心として、それに続く左右の峰に城の遺構があり、背後の梨割なしわり(二七八・二メートル)との間には空堀跡が認められる。山麓上屋敷かみやしきは屋敷跡といわれる。絹丸きぬまるには捨堀すてぼりの地名が残り、佐藤氏の家老長沼三徳の屋敷跡があったという(富加町史)。佐藤氏は藤原氏の出身、家紋御所車上有知鉈尾山こうずちなたおやま(現美濃市)城主佐藤氏・坂之東金懸さかのひがしかねかけ(現白川町)城主佐藤氏・堂洞どうぼら城主岸氏は同族である。永禄八年(一五六五)織田信長の堂洞城攻めのとき紀伊守は信長方にくみしたが、嫡子右近右衛門を失って、信長の命で養子として斎藤新五(斎藤道三の一族)を迎え、自らは伊深いぶか(現美濃加茂市)に隠居し仏門に入った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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