加藤文太郎(読み)カトウ ブンタロウ

20世紀日本人名事典 「加藤文太郎」の解説

加藤 文太郎
カトウ ブンタロウ

昭和期の登山



生年
明治38(1905)年3月11日

没年
昭和11(1936)年1月

出身地
兵庫県美方郡浜坂町

学歴〔年〕
神戸工業専修学校

経歴
三菱内燃製作所(のちの三菱神戸造船所)勤務の傍らアルピニストとして大正14年夏の白馬岳登山から、四季の日本アルプスに数々の単独登山を行う。中でも昭和6年1月の上ノ岳〜黒部五郎岳〜三保蓮華岳〜烏帽子岳縦走、7年2月の槍ケ岳〜西鎌尾根〜笠ケ岳往復など、冬期北アルプス単独登山の記録は前人未踏の記録である。11年1月3日槍ケ岳北鎌尾根で消息を絶った(4月遺体発見)。遺稿集に「単独行」がある。また新田次郎著「孤高の人」のモデルとなった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤文太郎」の意味・わかりやすい解説

加藤文太郎
かとうぶんたろう
(1905―1936)

登山家。兵庫県浜坂出身。神戸造船所に勤める。1925年(大正14)白馬(しろうま)岳登山をはじめとして、北アルプスを中心に槍(やり)ヶ岳穂高岳、笠(かさ)ヶ岳など単独行でエネルギッシュな登山を行った。36年(昭和11)槍ヶ岳北鎌(きたかま)尾根で遭難死した。没後遺稿集『単独行』が出版された。新田(にった)次郎小説『孤高の人』によってその生涯が描かれている。

[徳久球雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤文太郎」の解説

加藤文太郎 かとう-ぶんたろう

1905-1936 大正-昭和時代前期の登山家。
明治38年3月11日生まれ。大正8年(1919)三菱内燃製作所(のちの三菱神戸造船所)に入社。社会人登山家として夏の白馬岳登山を手始めに,冬の北アルプスの単独登山に挑戦。昭和11年1月槍ケ岳北鎌尾根で遭難死した。32歳。新田次郎の小説「孤高の人」のモデル。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「加藤文太郎」の解説

加藤 文太郎 (かとう ぶんたろう)

生年月日:1905年3月11日
昭和時代の登山家;製図技師
1936年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む