勝入寺(読み)しようにゆうじ

日本歴史地名大系 「勝入寺」の解説

勝入寺
しようにゆうじ

[現在地名]倉吉市仲ノ町

打吹うつぶき山北麓、南西の長谷ちようこく寺へ向かうひがし坂の途中にあり、曹洞宗。戦国期の武将池田恒興(信輝ともいわれる)菩提寺とされる。恒興は剃髪して勝入斎と号し、その戒名が護国院であったことから護国山勝入寺と号した。本尊釈迦如来。慶長一五年(一六一〇)播磨国姫路城主池田輝政が父恒興の菩提寺として同国三木建立叔父にあたる尾張国斎年さいねん(現愛知県常滑市)の住職芸安舜才を招請して開山とした。元和三年(一六一七)姫路城主池田光政が鳥取転封となり、同五年現在地に移されたと伝え、三木の寺は正入しようにゆう寺と寺号を改めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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