仲の町(読み)ナカノチョウ

デジタル大辞泉 「仲の町」の意味・読み・例文・類語

なか‐の‐ちょう〔‐チヤウ〕【仲の町/中の町】

吉原遊郭中央を貫いていた通り。現在の東京都台東区千束4丁目付近。

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精選版 日本国語大辞典 「仲の町」の意味・読み・例文・類語

なか‐の‐ちょう‥チャウ【仲町・中町】

  1. [ 一 ] 京都、島原遊郭内の町名。遊郭の北東の隅にあり、上町の北。三筋町の一つ。
    1. [初出の実例]「上の下の町中の町の家なみ可愛ひごかしに、粋が身を食ふ根引身請は金が巾する」(出典:浄瑠璃・津国女夫池(1721)千畳敷)
  2. [ 二 ] 江戸元吉原および新吉原の中央を貫き、北東より南西へ、大門口より京町まで達する通り。現在の台東区千束四丁目あたり。
    1. [初出の実例]「物日(ものび)のやくそくをかためては、朝(とう)から中の町の茶やに出てまち請(うけ)」(出典浮世草子・元祿大平記(1702)五)

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日本歴史地名大系 「仲の町」の解説

仲ノ町
なかのちよう

[現在地名]倉吉市仲ノ町

打吹うつぶき山北麓に広がる江戸期の武家屋敷地。倉吉荒尾氏の倉吉陣屋と倉吉組士のうち禄高の高い者の屋敷が所在した。町名は明治初期の成立とされ、東はあおい町、北は東仲ひがしなか町・西仲町西にし町、西は瀬崎せさき町。元禄(一六八八―一七〇四)頃と推定される倉吉古地図(倉吉町誌)によると、陣屋前広場の西側に延びる通りを挟んで伊木藤左衛門・荒尾将監・中村半兵衛らの屋敷が描かれ、その突当りにも屋敷割がみられる。寛延(一七四八―五一)頃の倉吉絵図(県立博物館蔵)には、陣屋前広場から北へ延びるひろ小路が研屋とぎや町西端の光明こうみよう寺まで描かれる。


仲ノ町
なかのまち

[現在地名]小樽まつ一丁目

明治三三年(一九〇〇)に小樽区大字入船いりふね町の一部が割かれて仲ノ町が成立。京町の西にある。明治二九年住ノ江すみのえ町の遊廓天狗てんぐ山麓に移転することが決定、同三三年当町など五大字が新設された(小樽市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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