勝谷村(読み)かちやむら

日本歴史地名大系 「勝谷村」の解説

勝谷村
かちやむら

[現在地名]美里町勝谷

勝谷峠から西流して円明寺えんみようじ村で真国まくに川に入る勝谷川に沿う。円明寺村から勝谷川に沿って勝谷峠を越え長谷はせ庄のみや村で貴志きし川に沿う街道があるが、これは七山ななやま(現海南市)から真国庄の地を経て高野山に至る高野街道である。

近世は高野山領細野ほその庄に属し、「続風土記」は村高六九石余、家数二六、人数一六〇を記す。村の東北に氏神社があり、大比叡大明神・熊野三所権現を祀る。ほかに荒神社・葛原宮・藤原宮などの小祠がある。村の東北隅に善福ぜんぷく(高野山真言宗)があり、元禄二年(一六八九)高野山西室院作の縁起には、本尊十一面観音は宝亀年中(七七〇―七八一)異国の沙門為光が刻んだものと記す。


勝谷村
しようやむら

[現在地名]下関市大字勝谷・勝谷新町しようやしんまち一―四丁目

あお山の東南麓を囲むように細長く広がる山間小村。西は秋根あきね村、北西田倉たくら村、東は長府ちようふ町、南はいちみや村と接する。長府藩領で西豊浦郡前支配に属する。

慶長五年(一六〇〇)検地帳に「勝屋」とあり、同一五年の検地帳に「勝屋村」とみえ、「一宮庄」と合石で記載される。総石高一千五九石余、うち田七五町余で九四八石余、畠二四町余で七八石余、百姓屋敷一二三。豊浦藩明細書には「勝谷村」と記され、秋根村と二村で報告されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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