勝間郷
かつまごう
「和名抄」高山寺本に「勝間」と記し、「加豆万」と訓じるが、刊本には「加都万」と訓じる。ともに「かつま」と読むことで一致する。
「延喜式」(兵部省)に「周防国駅馬」として「勝間」とあるから、山陽道の駅家を兼ねた郷であろう。天延二年(九七四)正月、周防守および鋳銭司長官を兼任した清原元輔の歌に、
<資料は省略されています>
とある「かつまの浦」は、国府の旧海岸部の名称として現存している。もとここに浜の宮が鎮座し、勝間神社(現佐波神社に合祀)とよばれていた。現防府市牟礼の阿弥陀寺所蔵正治二年(一二〇〇)の文書にも「牟礼令勝間里」の名がみえる。
勝間郷
かつまごう
「和名抄」高山寺本は「加豆末」、東急本は「加都万」と訓を付す。中世には京都仁和寺法金剛院領の勝間庄が成立する。近世の勝間村を遺称地とし、現三豊郡の山本町北東部から高瀬町上麻・下麻・上勝間・下勝間に至る地域に比定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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