日本歴史地名大系 「三野郡」の解説
三野郡
みのぐん
- 香川県:讃岐国
- 三野郡
〔古代〕
天平一九年(七四七)二月一一日の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳(正倉院文書)の寺領を記した項の「讃岐国拾参処」のうちに「三野郡一処」とある。「播磨国風土記」
「先代旧事本紀」に、物部氏の先祖饒速日命が天降るとき供奉した一族の一つとして讃岐三野物部をあげている。これを事実とすることはできないが、古代のある時期に当郡に物部の氏族が居住していたことを示しているかもしれない。「三代実録」貞観一五年一二月二日条に、三野郡の人桜井田部連豊貞の本居を改め右京六条一坊に貫すとあり、元慶元年(八七七)一二月二五日条にも当郡の桜井田部連豊直を山城国に移し貫すとある。「日本書紀」によると、安閑天皇二年に各国に屯倉を設置し、桜井田部連らに屯倉の税を主掌させたという。このことから当郡域に屯倉が置かれ桜井田部連の一族が管掌のため派遣されたとする説がある。また「続日本紀」宝亀二年(七七一)三月四日条に、三野郡の人丸部臣豊が私物をもって窮民を養った功により爵二級を賜うとある。丸部は大和国の豪族和邇氏の部曲であり、丸部臣豊はその管掌者の後裔であろう。嘉祥元年(八四八)一〇月一日、豊の子孫と思われる丸部臣明麻呂が当郡の大領に任ぜられたが、父己西成にその職を譲り孝養を尽したとして賞されている(続日本後紀)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報