勢多津・勢多庄(読み)せたのつ・せたのしよう

日本歴史地名大系 「勢多津・勢多庄」の解説

勢多津・勢多庄
せたのつ・せたのしよう

瀬田せた川の河口近く、勢多橋左岸やや下流付近に所在したとみられる川津とその併設庄園。当地には勢多橋の架橋以前は瀬田済とよばれたように渡しがあったとみられ、平安時代の粟津橋本あわづはしもと御厨の存在から漁港のあったことも間違いない。しかし当津の初見は石山いしやま造営にかかわる史料で、成立時期などそれ以前のことはまったく判明しない。正倉院文書の造石山寺所関連史料によると、天平宝字五年(七六一)から同六年にかけて保良ほら宮の造営と並行し、石山寺の増改築が造東大寺司の下部機関、造石山寺所によってなされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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