勿来関跡(読み)なこそのせきあと

日本歴史地名大系 「勿来関跡」の解説

勿来関跡
なこそのせきあと

[現在地名]いわき市勿来町

勿来町の関田せきた関山せきやまの、海岸から約七〇〇メートルの山中にあったとされる。「磐城風土記」は「関田より奈古曾の関切通に至る二里余。切通の長さ七十二歩、常奥二州に跨て」と記し、近世の切通し辺りを勿来関跡とする。「磐城志」はこの道は中世以来の道とし、古代の「古関跡は夫より凡半里余、窪田より大槻通り常陸多珂郡山小屋村に通ずる山上」か、または「多珂山小屋より窪田の南酒井に通ずる処」ともいっている。現在勿来関跡の碑があり、その南の勿来の関公園内に勿来関文学歴史館がある。源義家の「吹く風を」の歌碑の近くにある壊れかけた石塔を関明神としているが、関跡を示す遺構や出土品もない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む