関田村(読み)せきだむら

日本歴史地名大系 「関田村」の解説

関田村
せきだむら

[現在地名]板倉町関田

じようヶ山(五七一・六メートル)そで(六〇五メートル)きようヶ岳(五二九メートル)に囲まれた谷あいにある。別所べつしよ川の水源で、関田峠の入口にあたる。西は別所川を隔てて筒方どうがた村、北は玄藤寺げんどうじ新田に接する。上関田・下関田の二集落がある。正保国絵図に村名がみえ、延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では高一九四石九斗余、「此所番所 但、信州境目」とある。天和三年(一六八三)検地帳(関田区有文書)によれば高一五一石余、うち山高二石二斗八合・漆高七升、田九町七反余・畑一〇町八反余。


関田村
せきだむら

[現在地名]小国町宮原みやばる

杖立つえたて川沿いに集落が広がり、南は杉田すぎた(現南小国町)に接する。文明一六年(一四八四)八月二八日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(阿蘇家文書)に、「かふりかた」として「一所せきた」とあり、収納使への酒饌を提供したため、初穂米は免除された。元徳二年(一三三〇)二月二三日の阿蘇社造営料木注文写(同文書)によれば、近世の小村である脇戸わきどは他の二村と共同で料木一本を負担している。


関田村
せきだむら

[現在地名]春日井市関田町・八事やごと町・鳥居松とりいまつ町・乙輪おとわ町・貴船きぶね町・篠木しのぎ町・浅山あさやま町・六軒屋ろつけんや町・うめつぼ町・菅大臣かんだいじ町・穴橋あなばし町・林島はやしじま町・小木田おぎた町・割塚わりづか

下市場しもいちば村の西にありした街道を挟む広い地域。「続日本紀」霊亀元年(七一五)七月の条に「尾張国人外従八位上席田君迩近及新羅人七十四家貫美濃国始建席田郡焉」とある。文明九年(一四七七)から天文年間(一五三二―五五)までの寄進の様子を伝える円福寺寄進田帳(円福寺蔵)に「弐段彦四郎名、関田七郎太衛門キシン一反ナハテヨリ下 池坊 西蔵坊」とあり、関田の地名がみえる。


関田村
せきたむら

[現在地名]いわき市勿来町・勿来町なこそまち関田西せきたにし

太平洋に面し、浜街道宿駅であった。南は九面ここづら村、北は中田なかだ村、西は四沢しさわ村。背後の丘陵上に勿来関跡があったと伝え、この関の役料としての田があったための村名と伝える。菊多きくた郡に属した。近世を通じて磐城平藩領。文禄四年(一五九五)の四郡検地高目録では高二八四石余。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では高三八二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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