日本歴史地名大系 「菊多郡」の解説
菊多郡
きくたぐん
- 福島県:陸奥国
- 菊多郡
〔古代〕
「国造本紀」に道奥菊多国造とみえる。「常陸国風土記」多珂郡条に、成務天皇が建御狭日命を多珂国造に任命したとき「久慈の堺の助河」(現茨城県日立市)をもって
現いわき市)跡は、「河海抄」に延暦一八年(七九九)一二月一〇日のこととして「白河・菊多
守六十人」とある。次いで承和二年(八三五)一二月三日の太政官符(類聚三代格)に「応准長門国関勘過白河菊多両
事、右得陸奥国解称、
旧記、置
以来、于今四百余歳矣」とある。白河・菊多両
の通行取締を長門国の
に準じて厳重に執行すべしとの太政官符で、隼人・蝦夷に備える関門である長門・陸奥の関は対をなす施設で、菊多
は設置以来四〇〇余年ということは、五世紀前半の開設となる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報