北原新田村
きたはらしんでんむら
[現在地名]飯山市大字瑞穂 豊
柏尾村の北の高地に位置し千曲川に臨む。
寛永一八年(一六四一)四月、水内郡越の前(現飯山市大字常盤)の願人が飯山城主松平忠倶の許可を得て、もと馬場郷内の荒蕪地北原を開発した。用水は赤滝川より分水し柏尾北村を通して新開することができた(北原共有文書)。
北原新田村
きたはらしんでんむら
[現在地名]喜多方市松山町村松
村松新田村の北、押切川(旧河道)東岸に位置する。西は同川を隔てて上三宮村。小荒井組に属する。寛永一五年(一六三八)村松新田村の北側の原野を開いて成立した新田村で、村名もこのことに由来する。しかし押切川の洪水のため安永七年(一七七八)村松新田村に移住し、文化年間(一八〇四―一八)には二軒のみの集落となっている(以上「新編会津風土記」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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