北原稲雄(読み)きたはら いなお

美術人名辞典の解説

北原稲雄

国学者・座光寺村名主。通称照吉・林右衛門、名は信質、号は八束穂・鏑廼舎。因信の子。信濃伊那郡生。福住清風・岩崎長世富樫広蔭・平田鉄胤に師事。片村春一等と共に平田篤胤著書『弘仁歴運記考』『古史伝』を刊行。筑摩県権少属・同中属を歴任。著書に『雪の信濃路』『鎮廼舎歌集』がある。明治14年(1881)歿、57才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北原稲雄 きたはら-いなお

1825-1881 幕末-明治時代の国学者。
文政8年2月3日生まれ。信濃(しなの)(長野県)伊那郡座光寺村の名主。平田篤胤(あつたね)の没後の門人となり,遺著「弘仁暦運記考」の出版をたすける。元治(げんじ)元年天狗(てんぐ)党の伊那谷通過を援助。維新後は松本開産社社長。明治14年10月2日死去。57歳。号は鏑廼舎(かぶらのや)。歌集に「雪の信濃路」「鏑廼舎歌集」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

北原稲雄

没年:明治14.10.2(1881)
生年:文政8.2.3(1825.3.22)
幕末・明治前期の国学者。信濃国(長野県)伊那郡座光寺村の名主,民右衛門因信の次男。幼名照吉,のち信質,通称林右衛門,森右衛門。八束穂,または鏑廼舎を号とした。嘉永2(1849)年,父の跡を継ぐ。思春期には和歌を飯田の歌人,貸本屋の福住清風に学び,また安政6(1859)年以降,平田篤胤の没後の門人となり,平田流国学に精進した。師の遺稿『弘仁歴運記考』(1860年完成)や『古史伝』(全16巻,1862年出版発起)の刊行は,稲雄が私財を投げ尽力することによって実現した。維新期に,武田耕雲斎ら水戸志士の伊那谷通過を支援するなど,討幕派に協力し,やがて維新後は伊那県に出仕した。晩年は郷土の殖産興業に努めた。歌集に『雪の信濃路』(全5巻)と『鏑廼舎歌集』(全2巻)がある。<参考文献>村沢武夫編『信濃人物誌』,同『伊那歌道史』

(ロバート・キャンベル)

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