朝日日本歴史人物事典 「北原稲雄」の解説
北原稲雄
生年:文政8.2.3(1825.3.22)
幕末・明治前期の国学者。信濃国(長野県)伊那郡座光寺村の名主,民右衛門因信の次男。幼名照吉,のち信質,通称林右衛門,森右衛門。八束穂,または鏑廼舎を号とした。嘉永2(1849)年,父の跡を継ぐ。思春期には和歌を飯田の歌人,貸本屋の福住清風に学び,また安政6(1859)年以降,平田篤胤の没後の門人となり,平田流国学に精進した。師の遺稿『弘仁歴運記考』(1860年完成)や『古史伝』(全16巻,1862年出版発起)の刊行は,稲雄が私財を投げ尽力することによって実現した。維新期に,武田耕雲斎ら水戸志士の伊那谷通過を支援するなど,討幕派に協力し,やがて維新後は伊那県に出仕した。晩年は郷土の殖産興業に努めた。歌集に『雪の信濃路』(全5巻)と『鏑廼舎歌集』(全2巻)がある。<参考文献>村沢武夫編『信濃人物誌』,同『伊那歌道史』
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報