北条仲時(読み)ほうじょう・なかとき

朝日日本歴史人物事典 「北条仲時」の解説

北条仲時

没年:正慶2/元弘3.5.9(1333.6.21)
生年徳治1(1306)
鎌倉末期の最後の六波羅探題。基時の子。越後守。元徳2(1330)年六波羅探題北方に就任。元徳3/元弘1(1331)年,大仏貞直,金沢貞冬ら鎌倉からの援軍と共に反幕府の兵をあげた後醍醐天皇笠置山に攻めて捕らえ,翌年隠岐に配流した。以後,楠木正成,護良親王らの追討に当たる。正慶2/元弘3(1333)年天皇方に寝返った足利高氏,赤松則村らと戦うが,六波羅を攻め落とされる。探題南方の時益と共に光厳天皇,後伏見・花園両上皇を擁して関東を目指したが,六波羅評定衆・在京人の離反にも遇って勢力を失い,近江番場宿で400名余と共に自害して果てた。

(森幸夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条仲時」の解説

北条仲時 ほうじょう-なかとき

1306-1333 鎌倉時代の武将
徳治(とくじ)元年生まれ。北条基時(もととき)の子。元徳2年六波羅(ろくはら)探題北方となり,元弘(げんこう)の乱では後醍醐(ごだいご)天皇を隠岐(おき)に配流する。正慶(しょうきょう)2=元弘3年足利高氏(尊氏)らに攻められ,北条時益(ときます)とともに光厳(こうごん)天皇,後伏見・花園両上皇を擁して関東をめざしたが,近江(おうみ)(滋賀県)番場宿で敵にかこまれ同年5月9日自刃(じじん)。28歳。

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世界大百科事典(旧版)内の北条仲時の言及

【番場宿】より

…現在の滋賀県坂田郡米原町番場にあたる。1333年(元弘3)5月9日,足利尊氏に攻められ,関東に下る途中の六波羅北方探題北条仲時らは,五辻宮(亀山天皇皇子守良親王)を奉じた山賊・溢者(あぶれもの)などの軍勢にかこまれ,番場蓮華寺で主従432人が自害した。蓮華寺には北条仲時以下の過去帳と墓石群が残る。…

【蓮華寺】より

…しかし元来が別系であったために1942年に末寺56ヵ寺とともに時宗を離脱して浄土宗に改めた。1333年(元弘3)に六波羅探題北方北条仲時が光厳天皇を奉じて東走を企てて力つき,当寺で一族430余人とともに自害したことは有名で,寺内には仲時ら一族の墓があり,またその過去帳(蓮華寺過去帳)は重要文化財。【石田 善人】。…

※「北条仲時」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」