北条宗頼(読み)ほうじょう むねより

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条宗頼」の解説

北条宗頼 ほうじょう-むねより

1259-1279 鎌倉時代の武将
正元(しょうげん)元年生まれ。北条時頼(ときより)の子。北条時宗(ときむね)の弟。蒙古軍の襲来にそなえ,建治(けんじ)2年長門(ながと)・周防(すおう)の守護となり警備指揮をとった。長門探題のはじまりで,以後北条氏一族がその職をついだ。弘安(こうあん)2年6月5日死去。21歳。通称は相模七郎,相模修理亮。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の北条宗頼の言及

【長門国】より

…旧国名。長州。現在の山口県の西半部。東部は周防国に接し,他の三面は海に臨む。
【古代】
 山陽道西端に位置する中国(《延喜式》)。律令制以前,その南西地方の下関海峡付近を穴門国(あなとのくに)と呼び,穴門国造が支配した。長門の国名は665年(天智4)が初見で,そのころから国司が管治する国となった。《和名抄》は〈ナカト〉と訓じ,厚狭(あつさ),豊浦(とよら),美祢(みね),大津,阿武(あむ)の5郡である。…

※「北条宗頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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