日本歴史地名大系 「北田野浦村」の解説 北田野浦村きたたのうらむら 新潟県:佐渡郡相川町北田野浦村[現在地名]相川町北田野浦南は高下(こうげ)村の集落に接続し、北は小野見(おのみ)川を隔てて小野見村、東は大佐渡山地の尾根を境に白瀬(しろせ)村(現両津市)。集落は段丘崖下の低地にあって孫助(まごすけ)川から南の海岸沿いに密集する。広い海岸段丘と集落以北の低地は水田化され、この地域では最も多い耕地面積を有する。近世中期までは田野浦村と称し、享保二年(一七一七)から北田野浦村の記載がみられ、文政年間(一八一八―三〇)以降これが通例となる。小野見川は近世には大谷(おおや)川または大矢(おおや)川と称し、大谷川に面する段丘北端の城(じよう)ノ鼻(はな)とよばれる台地に中世末期の城跡があり、城主は京極殿と掃部殿と伝える。氏神の御礼智(ごれいち)神社は「佐渡国寺社境内案内帳」によれば、天正一六年(一五八八)の勧請で、社人の六兵衛は京極殿・掃部殿とともに草分七人衆の一人という。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by