北畠材親(読み)きたばたけ・きちか

朝日日本歴史人物事典 「北畠材親」の解説

北畠材親

没年:永正14(1517)
生年応仁2(1468)
室町・戦国時代の武将伊勢国司北畠政郷長男。具方ともいった。材親の「材」の字は将軍足利義材の諱の1字。文明8(1476)年叙爵にあずかり,以後順調に昇進を重ね,永正6(1509)年に正三位,翌年には権大納言に任じられた。これに先立つ永正5年には,父政郷の死去を受けて国司家を継いでいる。このころ,室町幕府は管領細川家が高国方と澄元方に分裂して激しく動揺していた。劣勢となった澄元の党類,三好長秀(之長の子)が伊勢山田(伊勢市)に逃亡してくると,高国と結んだ材親は永正6年,軍を送ってこれを討ち滅ぼした。同8年に出家し,大石(三重県松阪市)御所と呼ばれた。

(西山克)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北畠材親」の解説

北畠材親 きたばたけ-きちか

1468-1518* 室町-戦国時代の武将。
応仁(おうにん)2年生まれ。北畠政郷(まささと)の長男。伊勢(いせ)国司。父にしたがって北伊勢の長野氏を攻め,伊勢神宮領の山田と宇治抗争に介入し,勢力拡大をはかる。永正(えいしょう)6年管領(かんれい)細川高国に反した三好長秀を討ち,幕府との結びつきをつよめた。永正14年12月13日死去。50歳。初名は具方(ともかた)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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