朝日日本歴史人物事典 「北畠材親」の解説
北畠材親
生年:応仁2(1468)
室町・戦国時代の武将。伊勢国司北畠政郷の長男。具方ともいった。材親の「材」の字は将軍足利義材の諱の1字。文明8(1476)年叙爵にあずかり,以後順調に昇進を重ね,永正6(1509)年に正三位,翌年には権大納言に任じられた。これに先立つ永正5年には,父政郷の死去を受けて国司家を継いでいる。このころ,室町幕府は管領細川家が高国方と澄元方に分裂して激しく動揺していた。劣勢となった澄元の党類,三好長秀(之長の子)が伊勢山田(伊勢市)に逃亡してくると,高国と結んだ材親は永正6年,軍を送ってこれを討ち滅ぼした。同8年に出家し,大石(三重県松阪市)御所と呼ばれた。
(西山克)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報