北畠治房(読み)キタバタケ ハルフサ

20世紀日本人名事典 「北畠治房」の解説

北畠 治房
キタバタケ ハルフサ

江戸時代末期・明治期の男爵 大阪控訴院院長。



生年
天保4年1月(1833年)

没年
大正10(1921)年5月2日

出生地
大和国(奈良県)

別名
別称=平岡 鳩平(ヒラオカ キュウヘイ)

経歴
法隆寺の寺侍。伴林光平らと交流し、尊王攘夷運動に従事する。文久3年天誅組五条代官所の襲撃に参加、姓名を平岡鳩斎と改め、勘定方として各所転戦。維新後、大隈重信、五代友厚らと交わり、その推挙により横浜開港場裁判官となる。「明治14年の政変」により辞職し、改進党に参加。のち、20年東京控訴院検事長、23年大審院判事、24年大阪控訴院院長に就任。29年男爵。41年から44年貴院議員を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北畠治房」の解説

北畠治房 きたばたけ-はるふさ

1833-1921 幕末-明治時代の尊攘(そんじょう)運動家,司法官
天保(てんぽう)4年1月1日生まれ。大和(奈良県)中宮寺の寺侍。天誅(てんちゅう)組の大和挙兵,水戸天狗(てんぐ)党の乱に参加。維新後は大審院判事などをへて明治24年大阪控訴院院長。15年の大隈(おおくま)重信の立憲改進党結成にもくわわった。男爵。貴族院議員。大正10年5月2日(一説に4日)死去。89歳。変名は平岡鳩平

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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