北立島村
きたたつしまむら
[現在地名]相川町北立島
南は北川内村に接する。北立島川(大川)以南二七五間の海浜では、近世に入り田畑の開発がすすむにつれて両村の境界争いが発生し、宝永元年(一七〇四)の争論絵図添書(北立島区有)によると、佐渡奉行所から両村の入会地と裁決された。現在は北立島地籍に属する。北端を流れる不動尊川は、旧県道の上部で安田川に合流して入川村に接する。海岸沿いの集落背後には二段の海岸段丘が発達して水田が広がる。近世前半までは立島村と称したが、享保(一七一六―三六)初年頃から北立島村の文字がみられるようになり、文政年間(一八一八―三〇)以後北立島村が一般的となる。中世末までの集落は、不動尊川上流の中位段丘にあったと考えられ、付近に城ノ下・塚ノ上などの地名があり清水が湧出する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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