医王山城跡(読み)いおうやまじようあと

日本歴史地名大系 「医王山城跡」の解説

医王山城跡
いおうやまじようあと

[現在地名]津山市吉見

標高三四〇メートルの山城で、加茂かも川に面して屹立し、西方は深い谷が入込む。祝山いわいやま城・岩尾山いわおやま城ともよぶ。往古、上道是次が築城したという伝えがあり、南北朝期には山名・赤松氏の兵が互いに拠守する。天文元年(一五三二)に尼子経久は伯耆因幡の諸城を服属させたのちに美作に侵攻し、医王山城は尼子氏の将三好安芸守の拠点となる。その後、備前東部から美作東部にかけて勢力を伸ばした浦上宗景の兵が在城するが、天文一三年尼子晴久が美作に進攻したため落城する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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