十九路軍(読み)じゅうくろぐん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「十九路軍」の意味・わかりやすい解説

十九路軍
じゅうくろぐん

1930年、中国の広東(カントン)省出身の将軍によって編成された軍隊陳銘枢(ちんめいすう/チェンミンシュー)、蒋光鼐(しょうこうだい)、蔡廷鍇(さいていかい/ツァイティンカイ)らが中心で、32年の第一次上海(シャンハイ)事件で日本軍と戦闘、抗日英雄とよばれる。対日和平を第一とする蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)に喜ばれず、内戦のため福建(ふっけん/フーチエン)省に移駐し中国共産党軍討伐を命じられた。しかし、中国共産党軍は戦闘を避け、十九路軍も内戦停止・抗日第一を主張して、33年福建人民政府に参加。翌34年には蒋介石によって壊滅・改編された。

[加藤祐三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「十九路軍」の意味・わかりやすい解説

十九路軍
じゅうくろぐん
Shi-jiu-lu-jun

1932年の第1次上海事変で奮戦して有名になった中国陸軍部隊。 30年河南で国民政府により討逆第 19路軍として編成され,陳銘枢,蒋光 鼐,蔡廷かいら主として広東出身の将領に率いられた。第1次上海事変の際,日本軍との衝突を回避しようとする蒋介石の意に反して,上海の北停車場その他で日本軍と衝突し,以後1ヵ月,蔡廷かい総指揮代理のもとに日本軍と激戦を交え,蔡はこれにより抗日英雄とたたえられた。その後福建人民革命政府に参加したが,蒋介石軍のため壊滅し,34年1月七路軍に改編されて河南省に移駐させられ,十九路軍の呼称も消滅した。

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世界大百科事典(旧版)内の十九路軍の言及

【蔡廷鍇】より

…貧農の出で,保定軍官学校を卒業して軍隊に入った。1932年の上海事変では十九路軍を率いて奮戦したが蔣介石に退けられ,翌年,反蔣の立場から福建人民政府軍事委員会主席となった。抗日戦勝利後,国民党民主促進会を組織し,解放後も人民共和国で高い地位にあった。…

【福建人民政府】より

…1933年に中国の福建省福州にできた地方政権。上海事変で奮戦したため蔣介石に福建移駐・紅軍討伐を命ぜられた十九路軍を核にし,正式には中華共和国人民革命政府という。33年11月,李済深を政府委員会主席,陳銘枢,蔣光鼐,蔡廷鍇をそれぞれ文化,経済,軍事委員会主席にあてて組織され,多くの中間派反蔣人士を結集した。…

※「十九路軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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