精選版 日本国語大辞典 「国民政府」の意味・読み・例文・類語
こくみん‐せいふ【国民政府】
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中華民国国民政府。略称は国府。前身は1923年広州に成立した孫文(そんぶん/スンウェン)を頭とする大元帥府。25年孫文死去後の7月1日改組され、国民政府となった(通称広東(カントン)革命政府)。27年1月、北伐戦争が勝利のうちに進行すると、政府は広州から武漢に移った(通称武漢政府)。同年4月12日、右派の蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)は上海(シャンハイ)でクーデターを起こし、18日には南京(ナンキン)で別に国民政府を樹立した。7月15日、汪兆銘(おうちょうめい/ワンチャオミン)を頭とする武漢政府も反共宣言を発し、南京政府と合体した。以上の経緯を通じ、国共第一次合作は破れ、政府は国民党の一党独裁制下に置かれ、蒋介石が事実上の独裁者となった。
日中戦争中、政府は重慶に移り、抗日戦争のなかで第二次国共合作が実現した。日本降伏後の1945年、政府はふたたび南京に戻ったものの、国共関係は再度決裂した。49年10月、内戦が中国人民解放軍の勝利によって終わると、蒋介石はかろうじて台湾に逃れ、その地において国民政府なるものを再組織したが、中央政府としての生命は実質上その時点で終わった。
[山下龍三]
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略称は国府。1925年に成立した中国国民党を主体とする政府。前身は1923年に成立した孫文を領袖とする陸海軍大元帥府。25年7月,広東(カントン)国民政府に改組し,主席は汪兆銘(おうちょうめい)。北伐開始後,27年1月に政府所在地を広州から武漢(ぶかん)に移した。4月蒋介石(しょうかいせき)が反共クーデタをおこし,南京(ナンキン)に胡漢民(こかんみん)を主席とする国民政府を樹立。武漢・南京両政府の分裂は,7月の汪兆銘反共クーデタ後に終止符が打たれた。28年に立法・司法・行政・考試・監察の五院制の国民政府として出発。日中戦争中に重慶(じゅうけい)に移り抗日戦争を指導。第2次大戦後南京に復帰したが,49年共産党との内戦に敗れて台湾へ移り,大陸の共産党政府との対峙状態が続いている。
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