国民政府(読み)こくみんせいふ(英語表記)Guo-min Zheng-fu

精選版 日本国語大辞典 「国民政府」の意味・読み・例文・類語

こくみん‐せいふ【国民政府】

[一] 中華民国国民政府。一九二五年、国民党広東で組織。北伐後、蒋介石の独裁下に南京で五院制を採用して政府活動に入る。日中戦争中は重慶に逃がれ、国共合作で日本軍に抵抗。一九四八年、中華人民共和国政府の成立により国民政府は終わるが、実質上継続し、この政権は一九四九年、中国共産党軍に追われて台湾に逃れた。国府。→中華民国
[二] 一九四〇年、汪兆銘首班として南京に成立した日本のかいらい政権。南京政府

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デジタル大辞泉 「国民政府」の意味・読み・例文・類語

こくみん‐せいふ【国民政府】

1925年、中国国民党の指導下に広東カントンに成立した政府。1928年、北伐を終えた蒋介石しょうかいせきが実権を握り、共産党を弾圧して独裁制を敷いた。日中戦争中は国共合作により抗日戦を戦ったが、戦後共産党との内戦に敗れ、1949年、台湾へ逃れた。国府。中華民国国民政府。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国民政府」の意味・わかりやすい解説

国民政府
こくみんせいふ

中華民国国民政府。略称は国府。前身は1923年広州に成立した孫文(そんぶん/スンウェン)を頭とする大元帥府。25年孫文死去後の7月1日改組され、国民政府となった(通称広東(カントン)革命政府)。27年1月、北伐戦争が勝利のうちに進行すると、政府は広州から武漢に移った(通称武漢政府)。同年4月12日、右派の蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)は上海(シャンハイ)でクーデターを起こし、18日には南京(ナンキン)で別に国民政府を樹立した。7月15日、汪兆銘(おうちょうめい/ワンチャオミン)を頭とする武漢政府も反共宣言を発し、南京政府と合体した。以上の経緯を通じ、国共第一次合作は破れ、政府は国民党の一党独裁制下に置かれ、蒋介石が事実上の独裁者となった。

 日中戦争中、政府は重慶に移り、抗日戦争のなかで第二次国共合作が実現した。日本降伏後の1945年、政府はふたたび南京に戻ったものの、国共関係は再度決裂した。49年10月、内戦が中国人民解放軍の勝利によって終わると、蒋介石はかろうじて台湾に逃れ、その地において国民政府なるものを再組織したが、中央政府としての生命は実質上その時点で終わった。

[山下龍三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国民政府」の意味・わかりやすい解説

国民政府
こくみんせいふ
Guo-min Zheng-fu

中国国民党が 1925年7月1日に組織した政府。国府と略称される。国民党の一党独裁と,蒋介石の個人独裁とを特徴とし,成立より現在まで2つの時期に分けられる。 (1) 25年7月~27年4月,国府が国共合作のもとで国民革命を遂行する中心的指導機関として機能した時期。国府樹立の提議は,24年1月の国民党一全大会で行われ,25年7月「中華民国国民政府組織法」 10ヵ条を公布し,従来の大元帥府に代えて国府を組織した。 26年7月国府によって開始された北伐は急速に進展し,政府所在地は従来の広州から 27年2月武漢に移された。 (2) 27年4月~49年5月,国府が中華民国の中央政府として全国的支配権を確立していき,国民党の一党独裁と蒋介石の個人独裁が強化された時期。 27年4月の四・一二クーデター以後,蒋介石は南京に国府をつくり,武漢を拠点とする国民党左派と共産党の国民政府と対峙したが,武漢の国府は7月に「反共」に転じて共産党と絶縁し,9月南京の国府に合流。 28年6月蒋介石による北伐完了ののち,10月,孫文の主張していた五権 (行政,立法,司法,考試,監察の各権) に基づく五院制の国府に根本的に改組され,主席 (蒋介石) の権限が飛躍的に強化された。蒋介石の独裁強化に反発する広東派党員の汪兆銘らは 31年5月広州に国府を樹立し南京政府と対立したが,9月満州事変が発生したため両者は妥協。日中戦争中の 40年3月汪兆銘は日本の傀儡 (かいらい) 政権「国民政府」を南京に組織したが,45年日本の敗戦とともに消滅。 48年3月国民党政府は国共内戦のなかで行憲国民大会を招集,5月民選政府の成立に伴い,国府の名称は消滅。以後 49年台湾に逃亡後は,中華民国政府という名称が使用されている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国民政府」の解説

国民政府
こくみんせいふ

略称は国府。1925年に成立した中国国民党を主体とする政府。前身は1923年に成立した孫文を領袖とする陸海軍大元帥府。25年7月,広東(カントン)国民政府に改組し,主席は汪兆銘(おうちょうめい)。北伐開始後,27年1月に政府所在地を広州から武漢(ぶかん)に移した。4月蒋介石(しょうかいせき)が反共クーデタをおこし,南京(ナンキン)に胡漢民(こかんみん)を主席とする国民政府を樹立。武漢・南京両政府の分裂は,7月の汪兆銘反共クーデタ後に終止符が打たれた。28年に立法・司法・行政・考試・監察の五院制の国民政府として出発。日中戦争中に重慶(じゅうけい)に移り抗日戦争を指導。第2次大戦後南京に復帰したが,49年共産党との内戦に敗れて台湾へ移り,大陸の共産党政府との対峙状態が続いている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「国民政府」の解説

国民政府
こくみんせいふ

中国国民党が組織した中華民国の政府
略称「国府」。1925年広東で組織。国民党左右両派の抗争により,武漢・南京両政府に分かれたが,'28年合体し南京に反共的な右派中心の国民政府を組織した。日本の満州・華北への進出に際し,重慶に移転し,抗日運動を展開し,戦後南京に復帰した。しかし,'49年共産党との内戦に敗れ,台湾にのがれた。大陸の共産党政府と対峙状態である。

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旺文社世界史事典 三訂版 「国民政府」の解説

国民政府
こくみんせいふ

中国国民党によって組織された中華民国政府
1925年に広東 (カントン) で成立。1927年に武漢・南京両政府に分裂したが,間もなく一つにまとまり,28年北伐に成功し,全中国を支配した。浙江 (せつこう) 財閥・英米と結んで,反共の立場を明確にしたが,日本の満州・華北への進出に際し,国共合作を行った。大戦後,中国共産党と対立して敗れ,台湾に追われた。

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百科事典マイペディア 「国民政府」の意味・わかりやすい解説

国民政府【こくみんせいふ】

中国国民政府

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