十神城跡(読み)とかみじようあと

日本歴史地名大系 「十神城跡」の解説

十神城跡
とかみじようあと

[現在地名]安来市安来町

現安来港の湾頭に位置する十神山の山頂にあった城で、十神山城ともいう。十神山から一望のもとに見下ろせる安来津は、美保関みほのせき(現美保関町)とともに出雲隠岐・伯耆各国などとを結ぶ海上交通の要衝で、十神城はこの安来津を守備する任務も併せ持っていたと考えられる。この城が明確な史料のうえに登場するのは、応仁の乱に際し安来庄地頭松田氏の庶子家にあたると推定される安来庄領家方代官松田備前守が、伯耆国山名六郎などと結んで蜂起した際のことである。応仁二年(一四六八)と推定される一〇月二〇日の尼子清貞宛生観書状(佐々木家文書)に、九月一九日「安来十神城ニ山名六郎・松田備前以下敵共楯籠処、同廿一日令出陣、彼城被攻落」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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